俺のセーブデータ保管庫

いろいろ書いたり、思ったこととかをメモしたり、日記書いたり、いろいろ書いたり、、、

怖くない怖い話とは

自分は怖い話が好きで、よくネットの怖い話まとめや

Youtubeにある怖い話の朗読の動画やゆっくり実況の動画を見漁っている。

その中でもこれ怖くないなとか、これなぜか怖いなと思うことがる。

 

俺が怖い話の何について怖いと思うかだが、

まず体験談自体の内容は関係ない。

関係あるのは、いかにリアルかどうかが全てだと思っている。

リアルとは何かというと、本当にあったのかもしれないと思うかどうかだ。

実際に怖い体験を聞いたりしても、それ本当か?とか思うと

なんか物語に入り込めない。

作り話くさいなと思ってしまう。

 

何が作り話っぽくさせているのか

1つは描写の表現が丁寧すぎることだ。実際怖い話は自分がどういう体験をしたかを、よりその時のありのままを話したくなってしまい、すごく細かく表現してしまっているものが結構ある。

例えば会話だ。肝試しに友達と行った時の体験とかだと、友達とした会話を細かく書いている人がいる。なんなら会話でストーリーを進めている人もいる。これは本当にリアルさを消す。実生活で会話を事細かに覚えている人なんてほとんどない。

要所要所の会話は覚えていることもあるだろうが、何気ない雑談なんてまず覚えていない。この覚えているはずのないものを書いてしまうと嘘っぽくなる。

同じ理由で、描写の表現もだ。肝試しに行った時に周辺の木々がどうこうのだの、生暖かい風がどうのこうのだ、そんな事細かに覚えているはずがない。より忠実に事実を伝えたいがために嘘くささが増してしまう。

 

もう一つは「違和感」の正体がわかるタイミングだ。

これはすべての話に当てはまるわけではないが、よく怖い話に「違和感」という言葉出てくる。

「なぜかここを通った時、違和感を感じた。」とか「この場所を訪れた時、その時ははっきりわからなかったが、なにか違和感を感じた」とか。

そしてこの違和感は、よく落ちに使われるのだ。おそらく落ちとして使うにはちょうどいいんだと思う。ふわっとした言葉にしといて、ネタ晴らしを最後に持っていくことができる。

ただ実生活でもそうだが、たいていの違和感はわりとすぐに気づくものだと思う。

人間はそこまで頭が悪い動物ではないから、なにかいつもと違う場所が先に見つかって、それが違和感となる。違和感と同じタイミングで変化に気づくと思う。

落ちのタイミングまで違和感に気づかないとなると、それは嘘っぽくなるし、違和感の正体が分かったタイミングでのそ正体を明かさないとなるとそれも嘘っぽくなる原因だと思う。

違和感はわかったタイミングでばらしたほうが良くて、なるべく早いほうがいい。

 

 

ただ嘘くささをなくそうとすると、あまり面白くない話なってしまうのはわかる。

怖くさせようと、細かい描写をしたり、面白い展開にしたい気持ちがもわかるが、嘘くさくなってもしょうがない。

難しい。

悩みについて考えながら書いた(支離滅裂)

何もやる気が起きなくなり無気力になってしまったときは共通して

未来への希望を感じられない時だと最近気づいた。

 

未来への希望とか、くそかっこつけたように聞こえるけど

言い換えれば、今後の楽しみだ。

そしてどのくらい先に未来で楽しみがなくなっているかで、落ち込み具合が変わる。

未来へ行けば行くほど落ち込む。

 

俺が落ち込むときはたいてい、もう今の仕事続けても一生おもんない人生を送ることになるけど、何したらいいかわからないという人生スパンの長さで楽しみがなくなっている。

これくらい長いスパンになると、立ち直り方がわからない。

いつもいつの間にか未来への希望が見えている。ただ1か月落ち込むこともあるし、次の日に立ち直ることもある。立ち直るまでの長さは悩みの大きさに比例していない。

 

立ち直るまでの長さはいつもランダムだ。抽象的にであればあるほどランダム性が増す。

今後の人生どうしようてきな抽象度だと、それこそ一カ月悩むこともあれば次の日に立ち直ることもある。

この仕様書の書き方わからないなとか、具体的な悩みになると、立ち直るのも速い。

速いというか具体的な悩みなればなるほど、答えがある。

その答えに行きつくまで、または納得できるまでの時間であって悩んでいるのとは違うのかもしれない。答えがあるとわかっていれば未来への希望は失われずに済むしな。

 

そう考えると、具体的な悩みは、悩んでいるのではなく考えていることになるな。

じゃあ悩みとは考えてもしょうがない抽象的なことを無駄に考えてしまっているだけなのか。

そうなってくると悩みとは愚かな行為で、考えることに意味があるな。

考えた結果、答えを出す。

これが悩まなくいい方法かもしれない。

最初は「未来への希望」を持つことが悩まなくていい方法だと思っていたが、

「考えた結果、答えを出す」ことが、解決策かもしれない。

 

いいや違う。

「未来への希望」は目的で

「考えた結果、答えを出す」手段だ。

 

これが今日の答えか。

なにもしていない

連休なのに何もやる気がしない

これはおそらくまずい

何年生きるつもりなんだと自分に言い聞かせている。

いつ死ぬかわからないのに、一日を無駄にしている。

罪悪感に駆られている。

この意味のない罪悪感にを消すのはなかなか大変だ

まああと2日あるしくそ無駄な罪悪感と戦うとするか

ワイヤレスイヤホンのケース

完全ワイヤレスイヤホンをちょっと前に購入した。

完全ワイヤレスイヤホンとは、その名と通りワイヤレスで完全なのだ。

まあめんどくさいからAir pods的なやつと思っといてくれ。

 

まあ最近のイヤホンは音質もいいし、使い勝手もいい。

おまけに完全ワイヤレスなので、邪魔にならない。マスクを取るときにイヤホンに絡まって、あぁもうっ!ってならなくて済む。イヤホンを取るの忘れてシャツを脱ごうとしたときに、あぁもうっ!ってならなくて済む。

これだけ買った甲斐があった。

 

こんないいことばっかの完全ワイヤレスイヤホンでも悪いところが一個ある。

それはイヤホンを装着しているときにケースを入れるところがないことだ。

なるべく手ぶらでいたいマンの俺は、ワイヤレスイヤホンのケースの置き場に困って仕方がない。

 

ズボンの右のポケットにはスマホ、左のポケットには財布、後ろの右のポケットにはハンカチ、後ろ左のポケットにはタバコ、最強の四天王が出来上がってしまっている。

この四天王を倒すのはなかなか難しい。

その中でもハンカチは、我ら四天王の中でも最弱って感じなのだが、実際にハンカチのところに入れてみると、ケツの一部だけ出っ張った妖怪になって変だった。

同じ理由でたばこのポケットに入れたくない。なんせケツだけでっぱったら電車で座るとき死ぬほどじゃまだ。

じゃあ前のポケットしかないのでスマホのポケットにいれたみたが、スマホは利用回数

新宿駅の利用者数ぐらい多いので、毎回毎回ケースがポケットの中でつっかえるのストレスでたまらない。ワイヤレスでストレス減ってるのに、別のストレスが来るんなんてあほとしか言いようがない。ストレスの責任転嫁、ストレスの多重下請けだ(そうか?)。

 

消去法で財布のポケットに入れるしかないのだが、なんせ狭い。

幸い小さい財布を使っていることもありなんとかギリギリやるくりはできそうなくらいの、4畳の1Rアパートでぎり人権を保てるくらいの広さしかないが、まあしょうがないって感じ。

でも本当にぎりぎりなので、いつかポケットから落ちるんじゃないかとひやひやする。

歩きながら定期的にポケットを確認して、ケースが無事か確かめている。本当に世話の焼ける子。本当にかわいい。そういうところが好き。

 

というのは嘘だ。

好きなわけあるか。

今日無くした。

いい加減にしろ。

早く帰ってこないと家には入れません。

マリオの映画を見てきた

マリオの映画を見てきた。

もし偶然この記事にたどり着いしてしまって、今後マリオを見ようかなと思っている人はブラウザバックしてください。ネタバレとか関係なく思ったことを書きます。

 

結論から言うと面白かった。

ただストーリは子供向けで、大人が楽しめるものじゃなかった。

都合がよすぎる展開でスピード感のみで進んでいくかんじ。

お世辞にもストーリーが面白いは言えない。

ストーリー以外は面白かった。面白かったというより、「楽しめた」のほうが表現は近い気がする。

 

どこがおもしろかったのかというと

すべてがマリオの世界観だった。何を当たり前なこと言っているんだと思うけど

本当にすべてマリオだった。

全てがマリオの世界観がゆえに、すべてが嬉しい小ネタだった。この嬉しい小ネタが1時間半続いたため、最後まで退屈することなく見ることができた。

 

どんな小ネタがあったかというと

まず全ての背景がどこかで見たことある場所だった。ここはスーパーマリオブラザーズのシリーズのどこかで見たなとか、ここはスーパーマリオ64だ!とか、ここのクッパ城の感じはマリカーに似たようなコースあるなとか、ここ完全にルイージマンションだ!とか、たしかにマリオのあのステージを3Dにしたらこんな感じになるなとか。

全てがマリオシリーズのどこかで見たことがある風景だったのだ。しかも昔のマリオだけじゃなく、最近のswitchで出ているスーパーマリオ3Dワールドだったり、昔から今までタイトルを網羅していた。これは大人も楽しめる。いいや、むしろ大人にはここを楽しませたいんだと感じた。小さいころにやったマリオを思い出させて、懐かしさを感じさせ、マリオをやって過ごしたあの面白かった瞬間を少しの時間だけ思い出すことができた。すごく良いように言うと、自分の記憶とともに楽しむ映画だ。

 

あとBGMもよかったし、SEもよかった。

マリオシリーズをやっていれば知っているBGMをアレンジしたものがほとんどだった。マリオシリーズのゲームはこのステージではこのBGMが使われるとか、ある程度決まっている。スター状態になっているときは大体どのシリーズも、同じではないがベースが同じ曲を使用する。タイトルによって若干アレンジが加わっているが、今回も映画も例にもれずBGMはお決まりのBGMだった。地下に入っているときの音だったり、クッパ城のBGMだったり。それだけでゲームを再現したいんだと伝わってきて、とても良かった。そしてなんか安心した。この映画もマリオシーズなんだなと思うことができた。

あと、ところどころ聞こえる効果音とかも凝っていて、ルイージスマホの着信音がゲームキューブの起動時に流れる音だったり、ゲーム好きを唸らせるものになっていた。

 

こんな細かい小ネタがずっと続くのだ。

今思えば1時間半ずっと小ネタを探していた。

これが楽しかった。この小ネタ探しが本当に楽しかった。おそらく製作者側もそれを望んでいるんだろう。

子供はストーリーを楽しんで、大人は小ネタを楽しむ。

大人の俺もなかなか楽しむことができるほどの小ネタの量。

見てよかったとここに残しておく

 

(もし映画館じゃなく、初見がサブスクサービスだったら酷評していたかもしれない(小声))

 

神経痛で眠れない

神経痛がえぐい

昨日初めて神経痛で眠れなくなった。

さすがに病院に行かなければ行けないなと思わされた。

 

近くに整形外科を検索してみると、

周りの整形外科は軒並み評判が悪い。

てきとーに診断されたとか、会計のとき不機嫌だったとか。なんちゅうところに俺は住んでいるんだ。医者と病院のライアーゲームが繰り広げられてやがる。

俺はこのライアーゲームに参加せざるを得ないのか?

やってやるよ。

医者VS神経痛のバトルをよぉぉ

 

そういうの見ると、病院はマジで運ゲーなんだなと思う。

しゃあない。医者は限られた人間しかできないから殿様商売になってもおかしくない。

 

病院に行くとして

ゴールデンウィークにかぶってしまっているのが最悪だ。

このゴールデンウィークは痛み止めで乗り切るしかない。

EVEありがとう。愛している。

また薬局に行くね。

 

そもそも根本原因として、姿勢が悪い。

てかもはや正しい姿勢がわかならい。

俺は姿勢の悪の最悪の世代、猫背+ストレートネックという超前傾姿勢の攻撃特化フォルムの姿勢だ。

仕事に対しても遊びに対してもそこまで前のめりじゃないので、前のめりを持て余している。行き場のない前のめりが神経痛となって表れたといっても過言じゃない。

誰かにこの前のめりを分けてあげたい。

ジモティーでこの前のめりを引き取ってくる人を探すか。

 

そんなこと言っている場合じゃない。病院を探さないと。

やる気スイッチが欲しい。

5月1日

人によってはゴールデンウィーク中で、俺の会社の人も何人も今日明日と有休を取り、

怒涛の9連休を満喫している。

俺は悲しいのか嬉しいのか、ゴールデンウィークの予定が一切ないので、どうせなんもすることないし仕事でもするかと、ほんの暇つぶしの感覚で仕事をした。

 

いざ机の座ってみると、1ミリたりとも仕事する気が起きない。

脳を切り替えるために、一旦たばこを吸ってみる。そうそう、この感じ、戻ったら仕事やる気出そうってなったが、机に座ってみるけどやる気がでない。

じゃあコーヒー飲んでみるかと、冷蔵庫にある安いUCCのブラックコーヒーをコップに注いで飲んでみた。よくやる気出したいときとか集中したいときに飲んでいるコーヒーならなんとかなるやろうと。

まあやる気はでない。

瞑想もしてみる。楽な体勢になり、ゆっくり深呼吸をする。

まあ出ないね、やる気って。

 

やる気って欲しいときに出ないよね。

ソシャゲのガチャくらい欲しいときに出ないよね。そこまで欲しいわけじゃない時に出るんだから。まさかやる気にも物欲センサーが働いているのかもしれない。

そうなってくると話は変わってくる。やる気ガチャでウルトラレアを引くために、いっぱい引かなきゃいけないし、いっぱいガチャを引くためにいっぱいやる気スイッチを持っておかなきゃいけない。今のところタバコをコーヒーと瞑想しかない。

ガチャ3回でウルトラレアやる気を引くのはさすがにしんどいので

今年中にやる気スイッチを1000個ほど増やす。