俺のセーブデータ保管庫

いろいろ書いたり、思ったこととかをメモしたり、日記書いたり、いろいろ書いたり、、、

今思えば本気を出したことがない

俺は今思うと本気になったことがない。

中学高校大学といわゆる普通の人生を歩んできた。

その中で、部活だったり学祭だったり、みんなが経験してきた学生のイベントをすべて体験したわけだが、これはやり込んだなと思えることないことに気づいた。

学校生活だけでなく趣味でもそうだと思う。

 

学生時代は学祭とか体育祭などの、いわゆる青春を体験できるイベントが嫌いだった。

斜に構えた中二病的な嫌いではなく、本当に面倒だった。

勉強ばっかりの学生生活の中で学祭みたいなイベントは非日常を味わえる時間だ。いつもは授業の時間だが、学祭前は学祭の出し物に充てる時間になる。体育祭の前の体育の授業が増えるし、体育祭当日は保護者など普段学校に来ない人を校舎の中で見かけることになる。

非日常としか言えないイベントだ。

俺は非日常が嫌いだった。いつも通り授業を受けたかったし、体育が増えるのもだるかった。ただ、決して授業が好きだったわけでない。高校の時なんてテストの成績は下から数えたほうが早かったし、なんなら俺の下にはスポーツ推薦で入学してきてスポーツ推薦で大学に行く、勉強しなくても進学できるような人しかいかなった。一般受験の中では最底辺だった。

そんな俺でも普通の授業のほうがましだと思ってた。だから、非日常のイベントに力を入れられなかった。普段の授業も力を入れたことはなかった。

 

部活もたぶんそこまで頑張ってなかった。中学の部活はレギュラーだったが、田舎で人数も少ない部活なんて誰でもレギュラーになれる。中学3年間で得られる技術なんて歴が長いほうが身についてるに決まっているので3年がレギュラーになるのは当然だ。

高校は今までやってこなかったスポーツをやったが、運動神経は悪くないのでそこそこできた。ただスタメンに選ばれることはなかった。中学からやってたやつは強かった。

高校の部活もそこそこやった。

 

大学受験は、周りが勉強してたから俺もなんとなくやっていた。志望校もなく、行けるところがあれば行こうぐらいの温度感だった。

とりあえずみんなと遅い時間まで勉強し、わからないことがあれば頭いい友達に聞いたりもして俺なりに勉強はしていた。ただ当時から本当に頑張っているかといわれると疑問が残る。

 

こんな風に俺はいつも良くて80%悪くても60%くらいで生きてきた。

おそらく俺みたいなやつは結構いると思う。

 

この今まで全力を出していない過去が今になってコンプレックスになっていた。

全力で頑張れる人がうらやましく思うし、全力で頑張れる分野に出会えた人が本当にうらやましく思っていた。

 

 

なんで全力を出せないのか考えたことがある。

一つは、全力を出すことで自分の低い能力を認めざるを得なくなり、プライドが傷つくからだと思う。全力を出してしまうと、どう頑張っても俺はここまでしかできないと現実みてしまう。現実を見なくて済むと、プライドは傷つかないし俺の本当の実力はこんなもんじゃないという楽観的な妄想をすることができる。

悲観して生きていても楽しくないし鬱になってしまうだろう。「自分の心を健康にしておくための楽観的な妄想」を保つために、全力を出していないのかなと考察している。

 

もう一つは、全力を出せない理由ではないが

俺の80%が俺にとっての全力であることだ。

これは岡田斗司夫というおもろいおっさんがyoutubeで人生相談の生配信をやっているのだが、この配信に俺の状況に似たような相談を送っていて、その回答の中で「君の80%は君にとっての全力かもよ」的なことを言っていた。

たしかにと思わされたと同時に現実を突きつけられた。ただこれに反論しようにも反論ができない。反論できる材料を俺の人生で見つけることができていない。

俺は今まで全力だったんだと認めてしまうと楽観的な妄想ができなくなる。

知らないほうがいい事実はあったんだと思わされた。

ただ俺もプライドがあるので認めたわけじゃない。

 

 

でももう20代後半ということもあり、現実を見ないといけない。

現実を見るために一度本気で頑張ってみる最後のタイミングなのかもしれないと焦りを覚えている。

このまま何せず過ごすのに危機感しかないため

俺は頑張ってみようと思う。